• 20年以上経っても消えない哀しい思い出

    母はまだ42歳でした。40歳でがんを患い、我慢強い母は、周囲に全くそれを告げずにある日突然入院しました。もうその時には、全く手の施しようがありませんでした。そして短い看病しかできないうちに、母は亡くなりました。

    母の病状が悪化してから、何も知らなかったのは父や私達子供たちも同じなのに、親戚たちが恐ろしく騒ぎ立て始めました。父も持病を持っており、家計は苦しく入院費用を払うので精一杯。私達兄弟はまだ10代後半から20代前半でしたが、全員仕事を辞めて付きっきりで看病していたのに、親戚からは攻撃され続けました。なぜ何も言わなかったのかと。母は、こんな親戚だから誰にも相談できなかったのだとつくづく感じました。

    母があっけなく亡くなり、残された父は廃人のようになっていました。全くお金がないのに、親戚からは仏壇とお墓を購入すること、そしてびっくりするような金額の葬儀を行えとの命令が。淀川でなら費用の安い葬儀が選べたのに。逆らえずに実家を売りに出し、そのお金で墓地と墓石と身分不相応な立派な仏壇を買わされました。そして驚いたことに、そのお葬式には親戚が一人も来ませんでした。明日から人手に渡る家に飾り付けられた、豪華な葬儀セット。そしてそこにいたのは私達兄弟だけだったのです。

    私ももうずいぶん前に母の年齢を追い越しました。あの時の自分は本当に子供だった。そんな子供に「世間の常識」とやらを背負わせて、母の思い出の実家を処分させられた哀しみは、今でも癒えることがありません。あんな葬儀をしなくてもよかった。あの時の私には、その決定権も逆らう術もなかったのです。

    カテゴリー: 家族葬

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